敏にして学を好み、下問を恥じず。是を以てこれを文と謂うなり。(公治長)|3月20日

敏にして学を好み、下問を恥じず。是を以てこれを文と謂うなり。(公治長)

敏而好学、不恥下問、是以謂之文也。

「頭がいいうえに、好学心に富み、部下に教えを請(こ)うことをちっとも恥なかった。だから、文というりっぱな諡をもらったのだよ」
子貢が、孔子に
「孔文子は、どうして”文”というりっぱな諡を貰ったのでしょうか?」
と質問したのに答えたことばである。
孔文子は、衛の国の大夫。姓は孔、名は圉(ぎょ)。文子は死後の諡。当時は、その人物の性行、人品にふさわしい諡をつける習慣になっていた。
”下問を恥じず”の典故がここである。

3月20日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

おはようございます。

孔文子という諡はよっぽどいい諡なんでしょうね。

出来る人というのはこういう人が多い。

何からでも学ぶ。

聞くことに抵抗がなく嫌味もない。

そういう人でありたいものです。

今日一日がんばります。