何如なれば達人と謂うべき|8月12日のことです。

8月12日、今日の論語一日一言です。

夫れ聞くなるもの者は、色に仁を取りて行いは違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞え、家に在りても必ず聞ゆ。(顔淵第十二)

それぶんなるものは、いろにじんをとりておこないはたがい、これにこりてうたがわず。くににありてもかならずきこえ、いえにありてもかならずきこゆ。(がんえんだいじゅうに)

伊與田覺先生の解説です。

「さて聞人というのは、表面は仁者らしく見せかけながら、行いが伴わない。しかも自分では、それでいて疑わず、いわゆる要領よくやるので、国にあっても必ず評判がよく、家にあっても必ず評判がよいというものだ」

表面上だけを装っていても必ず行動でボロがでるものです。

一番の問題は自分でも仁者、達人と思っていることは大変に問題です。

本当の達人になるためには行動との一致が必要ということですね。

”有名人であるより達人を目指せ”

そのような人になるためには、学ぶということが必要なのでしょうね。

マスコミの一方的な意見も問題ですが、今の政治家は達人と呼べるような人は少ない気がしますね。

今日も一日がんばります。