是れ吾が憂なり

子曰わく、徳の修まらざる、学の講せざる、義を聞きて徙る能わざる、是れ吾が憂なり。(述而第七)

しのたまわく、とくのおさまらざる、がくのこうせざる、ぎをききてうつるあたわざる、ふぜんのあらたむるあたわざる、これわがうれいなり。(じゅつじだいなな)

【訳】
先師が言われた。
「徳が身につかないこと、学が究められないこと、正しい道を聞いても行うことができないこと、悪い行いを改めることができないことの四つが、常に私の心をいためるものである」

4月19日、今日の論語一日一言です。

”いつも自分を省みる基準を持ちたい”と論語コンプリートにあります。

1)道徳が身につかなくなっていないか

2)勉強と学問がとどこおっているのでないか

3)正しいことを聞いても実践できないのではないか

4)よくないことに気づいているのに改められないのではないか

人間の心の動きとはそう簡単ではありません。

自分が実践できたとしても周りがそうなるとは限りません。

そこから生まれる葛藤こそが気づきというのでしょうね。

少しづつしか変わりませんし変えるべきではないのかもしれません。

一気やるとひずみが大きくなり壊れる場合もあると思います。

少しづつ変化していきよい方向に進んでいくしかありませんね。

今日も一日がんばります。