古は、言をこれ出さざるは、躬を逮(およ)ばざるを恥じてなり。(里仁)|3月7日 公開日:2020年3月8日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 古は、言をこれ出さざるは、躬を逮(およ)ばざるを恥じてなり。(里仁) 古者言之不出、恥躬之不逮也。 「昔の人びとは、軽々しく発言しなかったものである。これは、実行が発言に伴わないことを恥じたからである」 ペラペラとよくし […] 続きを読む
父母の年は知らざるべからず。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)る。(里仁)|3月6日 公開日:2020年3月6日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 父母の年は知らざるべからず。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懼(おそ)る。(里仁) 父母之年、不可不知也。一則以喜、一則以懼。 「父母の年齢は、きちんと知っていなければいけない。一つはそれで親が元気であることを喜び、一つに […] 続きを読む
父母在すときは、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方あり。(里仁)|3月5日 公開日:2020年3月5日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 父母在すときは、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方あり。(里仁) 父母在、不遠遊。遊必有方。 「父母の在命中は、遠くへの旅はしないように心がける。旅をするにも必ず行き先をはっきりさせておく」 親の在命中に、そのひざもとを遠く離れ […] 続きを読む
父母に事うるには幾諫(きかん)す。志の従わざるを見ては、又敬して違わず、労して怨まず。(里仁)|3月4日 公開日:2020年3月4日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 父母に事うるには幾諫(きかん)す。志の従わざるを見ては、又敬して違わず、労して怨まず。(里仁) 事父母幾諫。見志不從。又敬不違。勞而不怨。 「父母に仕えていて、万一、父母のまちがいがあったときはおだやかに諫めるがよい。か […] 続きを読む
賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省(かえり)みるなり。(里仁)|3月3日 公開日:2020年3月3日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省(かえり)みるなり。(里仁) 見賢思齊焉。見不賢而内自省也。 「すぐれた人物を見れば同じようになりたいと念願し、つまらない人物を見れば自己反省の資(たす)けと […] 続きを読む
君子は義に喩り、小人は利に喩る。(里仁)|3月2日 公開日:2020年3月2日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 君子は義に喩り、小人は利に喩る。(里仁) 君子喩於義、小人喩於利。 「君子は義に対して敏感であり、小人は利益に敏感である」 ”喩る”とは、敏感に感じとる、または、通暁(つうぎょう)していることである。 ものごとを処理する […] 続きを読む
吾が道は一以てこれを貫く。(里仁)|3月1日 公開日:2020年3月1日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 吾が道は一以てこれを貫く。(里仁) 吾道一以貫之。 「わたしは、一貫して、変わらぬ道を歩み通してきた」 曾子を中心にして門人たちが道徳上の問題を論じ合ったとき、孔子が曾子に向かって語ったのが、この言葉である。 孔子がその […] 続きを読む
位無きを患えずして、立つ所以(ゆえん)を患う。(里仁)|2月28日 公開日:2020年2月28日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 位無きを患えずして、立つ所以(ゆえん)を患う。(里仁) 不患無位、患所以立。(不患莫己知。求爲可知也。) 「自分の地位のないことを気にかける必要はない。地位に相当な実力を身につけるように、努力することだ」 かっこ内は”己 […] 続きを読む
能く礼譲を以て国を為(おさ)めんか、何か有(あ)らん。能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何せん。(里仁)|2月27日 公開日:2020年2月27日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 能く礼譲を以て国を為(おさ)めんか、何か有(あ)らん。能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何せん。(里仁) 能以礼譲於為国乎、何有。不能以礼譲為国。如礼何。 「譲り合う心で国を治めることができたなら、何の困難があろうか! […] 続きを読む
利に放(よ)りて行なえば、怨多し。(里仁)|2月26日 公開日:2020年2月26日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 利に放(よ)りて行なえば、怨多し。(里仁) 放於利而行、多怨。 「利益の追求ばかり考えると、人の怨みをかうことが多い」 利益の追求が全面的にいけないとはいわない。なかんずく、資本主義社会では、利潤の追求を度外視して企業経 […] 続きを読む