黙してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや。(述而)
黙而識之、学而不厭、誨人不倦。何有於我哉。
「黙って認識を深め、学問にはげんで飽きることがなく、人を教えて疲れることを知らない。これ以外には、自分には何の取り柄もない」
”何有於我哉”は、”これぐらいは私にとっては何でもない”と解釈する学派もある。しかし、これぐらいが自分のなし得ることで、それ以外には何の取り柄もない、と考えたほうが筋が通っている。
”黙識”とは、会得した学問知識をむやみに口に出さないこと。陽貨篇にある”道聴塗説”という語の正反対の態度である。
4月22日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
黙って認識を深める。
何の為に学ぶのか。
何を学ぶのか。
孔子の言葉を二千五百年もの間たくさんの人が学んでいる。
最初に編纂していった弟子たちはどんな思いだったのか。
黙って学びます。
今日も一日がんばります。