曰く、其の言や訒(じん)、斯れこれを人と謂うか。子曰く、これを為すこと難し。(顔淵)
曰、其言也訒、斯謂之仁矣乎。子曰、為之難。(言之得無訒乎。)
(これを言いて訒なること無きを得んや)
「”ことばがひかえめなら、仁といえるのですか”と司馬牛が聞いた。すると孔子は、なにごとにつけ実践は難しいものだ。(そうなれば、口数もひかえめになろうというものだ)」
司馬牛の質問に対する答えである。
孔子は質問者の性格や程度によって答弁を違えている。同じ仁の説明でも、顔淵、仲弓、司馬牛の三者にそれぞれ違うことを言っているのは、このためである。
司馬牛は門人の一人、名は犁(り)、字は子牛(しぎゅう)。
7月14日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはよございます。
仁とは何か。
私にならどう答えてくれるのでしょうか。
顔淵(自分に克ち、そして礼の精神に立ち返って実践すること。)
仲弓(家から一歩出たら、人に対しては大切なお客様のように扱い自分がしてほしくないことは人にしてはいけない。)
司馬牛(仁の人は言葉が控え目である。)
顔淵には少し難し目に、仲弓にはちょっと難く、司馬牛には簡単に。
人にものを教えるには人をみて答えを変えることも大切なことですね。
わかるだろうはいけません。
今日も一日がんばります。