天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡(きょう)人其れ予(われ)如何にせん。(子罕)|5月25日

天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡(きょう)人其れ予(われ)如何にせん。(子罕)

天之未喪斯文也、匡人其如予何。

「天がまだわたしの中に生きているこの文の道(儒学の道)を滅ぼさないというのならば、いかに乱暴な匡の人びとでも、わたしをどうすることもできないはずだ」
孔子が、衛の国から陳へ行く途中、匡という地方でそこの人たちに取り囲まれた。この地で、魯の陽虎という男が乱暴したことがあり、孔子はその陽虎に間違えられたのである。そのとき、孔子が胸を張っていった言葉である。
”斯文(しぶん)”というのは、転じて聖人の道や儒学の教えをいうが、その典故がここである。

5月25日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

おはようございます。

天が私を滅ぼさないと言い切るというのはよほどの自信がなければ言えない言葉ですね。

開き直ることもときには大事なのかもしれません。

やるだけのことをやって今日を悔いのないように送らないと言えないとは思いますが…

最後を決めるのは自分ではなく天ですね。

今日も一日がんばります。