仰げば彌高く|6月14日のことです。

仰げば彌高く

夫子(ふうし)、循循然として善く人を誘う(じゅんじゅんぜんとしてよくひとをいざなう)。我を博むるに文を以てし(われをひるむるにぶんをもってし)、我を約するに礼を以てす(われをやくするにれいをもってす)。罷めんとすると欲すれども能わず(やめんとほっすれどもあたわず)。(子罕第九)

【訳】
「ところで先生は、順序を立てて上手に人を導かれる。私の識見を広めるのに各種の書物や文物制度を以てせられ、私の行いをひきしめるのに礼を以てせられる。やめようかと思ってもやめることができない」

6月14日、今日の論語一日一言です。

”いくら学んでも先生には及ばない(先には先がある楽しみ)”と論語コンプリートにあります。

孔子様もすごいが顔回さんもすごいと思いますね。

互いに学んでいたんだと思います。いつでもディスカッションして会話をしながら学んでいたんでしょうね。

絶対的な信頼に応えていくというには非常に大変なことです。

弟子達の才能をみて伸ばすところを伸ばしていったんでしょうね。

そんな指導者にめぐり合うことは幸せです。

今日も一日がんばります。