賢なるかな回や。一箪(いったん)の食、一瓢(いっびょう)の飲、陋巷に在り。人は其の憂いに堪えず。(雍也)
賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷。人不揕其憂。(回也不甲改其楽。賢哉回也。)
「偉いもんだね。顔回は、食べるものといったら一膳の飯に一杯の汁だけ。住む所といえば路地裏のあばら家。普通の人間ならとてもたえられない。(それをかれは気にせずに、悠々としている。偉いもんだよ。顔回は)」
最も期待した愛弟子の顔回を、孔子がほめた言葉である。孔子にとってこの愛弟子の夭折(ようせつ)は、よほど悲しかったのであろう。
かっこ内は、”回や其の楽(たのしみ)を改めず。賢なるかな回や”と訓ずる。
4月5日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはよございます。
孔子様大絶賛の顔回さんですね。
きっと師に認められても驕ることもなく道を貫く賢人だったのでしょうね。
今の現状が変わってほしくないからあわてるわけで、顔回のように進みべき道が決まっているのであればなにも慌てることもないのでしょうね。
もともと何もないのですからやるべきことをやってあとは天に身をゆだねるしかないかもしれません。
今日も一日がんばります。