子、匡に畏す(し、きょうにいす)。曰わく(のたまわく)、文王既に没したけれど(ぶんおうすでにぼっしたけども)、文茲に在らずや(ぶんここにあらざるや)。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや(てんまさにこのぶんをほろぼさんとするや)、後死の者(こうしのもの)、斯の文に與るを得ざるなり(このぶんにあずかるをえざるなり)。(子罕第九)
先師が衛から陳へ行かれる途中の匡の町で恐ろしい目に遭われた。そのとき先師が言われた。
「聖人と仰がれる文王はすでに死んでこの世にはいないが、その道は現に私自身に伝わっているではないか。天がこの文(道)を滅ぼそうすると、私(後死の者)は文にあずかることができないはずだ」
論語コンプリートには「自分の進むべき道に絶対の自信と覚悟を持つ」とありました。
天が自分を生かすには理由があるということでしょうか?
周の文王はどのような国をつくったのでしょうか?とても素晴らしい国だったんでしょうね。
正しいを行いをした王様なんでしょうね。
その文化がいまだに残って伝わっていくんですからよっぽどでしょう。
そんなことを考えつつも月曜日です。
今日から一週間しっかり計画通りに仕事進めていければと思います。
今日も一日がんばります!