惑に非ずや|8月14日のことです。

8月14日、今日の論語一日一言です。

一朝の忿に其の身を忘れて以て其の親に及ぼすは、惑に非ずや。(顔淵第十二)

いっちょうのいかりにそのみをわすれてもってそのしんにおよぼすは、まどいにあらずや。(がんえんだいじゅうに)

伊與田覺先生の解説です。

「一時の怒りにわが身を忘れて暴発し、その責を親族にまで及ぼすことは、迷いではないかね」

こういう行動をする人をなだめるには話を聞いてあげることが大切です。

客観的に話を聞いてもダメです。

親身に寄り添うことが必要です。

論語コンプリートにはこうあります。

”自分のやるべきことをまずやって、その後生じる利益などのことは後回しにすれば、徳が高まっていくのではないだろうか。自分の悪い点を責めて反省はするが、他人の悪い点は責めないようにすれば、心の奥底にある悪が取り除かれていくのではないだろうか。一時の腹立ちから、自分を見失って一生を無にするようなことをしていまい、その災いを肉親にまで及ぼすようなことは、迷いの最たるものではないか。”

事を先にして得るを後にす

先にやるべきことをやり、得る利益については後回しにする

このような心境になるには学ぶしかないですね。

思いやりだぁと感じます。

今日も一日がんばります。