夫子の文章は得て聞く可(べ)きなり。夫子の性と天道とを言うは得て聞く可(べ)からざるなり。(公治長)
(子貢曰)、夫子之文章、可得而聞也。夫子之言性與天道。不可得而聞也。
「先生の文章は平素から聞くことができたが、人の性と天道について話されることはきわめて稀で、容易に聞くことはできなかった。(と、子貢がいった)」
”文章”とは国家の礼楽や制度を論じたものである。朱子の考えによれば、文章とは文彩で、威厳や文辞などもこれに入る。
これをみると、孔子は抽象的な議論よりも、実証的な学問を展開することに力を入れていたようである。『論語』は『孟子』や『中庸』にくらべて、この面の議論が少ない。
3月18日、論語一日一言(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
しばらく論語を読んでいますが、こういうことに気づくというのはさすがといいたいですね。
実証―事実をよりどころとして証明すること。また、その確実なよりどころ。確かな証拠。
抽象的ではないんですね。
たしかに日々の生活でそうなんだよね~と思うことが多いかもしれません。
天何をか言うや。
天は何もいわないけれども春も夏も秋も冬もくる。
ウィルスが蔓延しようと季節は変わらずです。
事実がそこにあるのですから考えて生き残る方法を考えないと。
今日も一日がんばります。