何を以て之を文と謂う|3月22日のことです。

何を以て之を文と謂う

子貢曰わく、孔文子は何を以て之を文と謂うや、子路曰わく、敏にして学を好み、下問を恥じず、是を以て之を文と謂うなり。(公冶長第五)

しこういわく、こうぶんしはなにをもってこれをぶんというや。しろいわく、びんにしてがくをこのみ、かもんをはじず、ここをもってこれをぶんというなり。(こうやちょうだいご)

【訳】
子貢が尋ねた。
「孔文子(衛の大夫)は何ゆえ諡(おくりな)を文と言うのでしょうか」
先師が答えられた謂。
「天性が明敏であって学問を好み、目下の者にもへりくだって尋ねることを恥じなかった。それで文と諡されたのだ。

諡(人の死後に贈る称号。生前の、よい性質や行ないに基づいて付ける)

3月22日、今日の論語一日一言です。

”後輩、部下にも学べる人は本当にできる人”と論語コンプリートにあります。

文というおくりなは大変名誉のある言葉みたいですね。

孔子の間に文が入る。

立派な人だったんでしょう。

どんな状況からでも学ぶ心のある人だったんでしょうね。

今日も一日がんばります。