朝(あした)に道を聞けば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。(里仁)|2月22日

朝(あした)に道を聞けば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。(里仁)

朝聞道、夕死可矣。

「もしも、朝、正しい道を開けたら、その日の夕方に死んだとしても、悔いはない」
”道”とは、人としての正しい在り方であり、人間の規範でもある。孔子は生涯これを追求していた。
孔子の考えでは、学問に志すのも、修養につとめるのも、結局は”道”を求めるためである。道すなわち人間の生き方や在り方を知ることは、非常に重要であり、それさえできたら、その日のうちに死んでも悔いはない。厳しい求道者の姿勢である。

2月22日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

こんばんわ。

何かといろいろなものが中止になりポジティブに考えるといろいろな時間が持てるとも感じます。

道を求める。

人間の生き方、在り方はどのようなものが正解なのか。

日々考えて正しいということはわかっていても実践できないのが人間でもあります。

嫌な感情を抑えることも難しいものです。

すべてよしとわかっていても心はそうでない場合が多い。

明日も一日がんばります。