富にして求む可(べ)くんば、執鞭(しつべん)の士と雖も、吾も亦これを為さん。如(も)し求む可からずんば、(述而)|4月29日

富にして求む可(べ)くんば、執鞭(しつべん)の士と雖も、吾も亦これを為さん。如(も)し求む可からずんば、(述而)

富而可求也、雖執鞭之士、吾亦為之。如不可求、(従吾近好。)

「富というものが追求に値するほどの値打ちのあるものなら、たとえ車夫馬丁(しゃふばてい)をしてでもそれを追求しよう。だが、それほど値打ちがないなら、(わたしは自分の好む道を進みたい)」”従吾所好”は、”吾が好む所に従わん”と訓ずる。
金持ちであることは、生活を充実させる上での欠かせない手段である。だが、それは人生の目的ではない。だから、一人の人間が生涯をかけて追及するほどのものではない。孔子のこの人生観は、現代でも通用する真理である。

4月29日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

おはようございます。

子曰わく、富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾亦これを為さん。如し求むべからずんば、吾が好む所に従わん。

富とはお金ということ。

生活を維持、会社を維持していく上では大事なものです。

でも、お金を求めているわけではありませんね。

その先のものを求めていると感じます。

生きがいや幸せ。

死んで何ももっていけるわけではありませんね。

今日も一日がんばります。