学は及ばざるが如くするも、猶これを失わんことを恐る。(泰伯)|5月22日

学は及ばざるが如くするも、猶これを失わんことを恐る。(泰伯)

学如不及、猶恐失之。

「学問というものは、無中になって追いかけていくべきであるが、それでもなお目標を見失ってしまう恐れがある」
たとえば、はるか前を行く人を追いかけるようにたえず努力しないと、学問にはついていけない。それでも、ちょっとでも油断すると、前方の人の影を見失ってしまうものだ。
追えども追えどもとらえることができない。
ここに学問の深慮さがある。だから、生半可な覚悟や単なる打算だけでは、学問の追求は難しい。このことを孔子は強調している。

5月22日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

おはようございます。

なんのために毎日やっているかわからなくなることがある。

たしかにそうなんです。

少しでも毎日勉強しながら更新したいと始めたことでも、途中で意味があるのかわからなくなることがある。

生半可では365日続けていくことは難しかったんですが今では当たり前になっている。

これからも、この言葉を思い出してやる気を出していきたいものです。

今日も一日がんばります。