子、川上に在りて曰く、逝く者は斯(か)くの如きか。昼夜を舎(お)かず。(子罕)|6月2日

子、川上に在りて曰く、逝く者は斯(か)くの如きか。昼夜を舎(お)かず。(子罕)

子在川上曰、逝者如斯夫。不舎晝夜。

「孔子は、川のほとりに立ってこうおっしゃられた。過ぎ去って行くものはみな、この川の流れのようなものであろうか。昼も夜も休みなく流れつづけている、と」
たいへん有名な警句であるので、古来幾通りにも解釈されている、たとえば、「休みなく過ぎ去って行くのは時間である」という解釈。ここではこの説に従った。
休みなく移るのは天地の運行だとする解釈は、春夏秋冬の移ろいは流れる水のようだと考える。修行の道は水のように休みないという解釈もある。

6月2日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

おはようございます。

解釈がいろいろある。

答えは一つではないのが人間らしい気もします。

水もあつまれば川になり、水滴も長い年月をかければ石をも削る。

継続することは力になるんだと信じてやるしかないのでしょうね。

ゆるぎない自分をつくるこも必要です。

今日も一日がんばります。