三年学びて、穀に至らざるは、得易からざるなり。(泰伯)
三年学、不至於穀、不易得也。
「三年も学問をしていて、しかも、仕官をあせらず勉強をつづけようとする人は、なかなか得難いものだよ」
孔子のころ、学問がすべて三年を一期としていたらしい。大抵の人は、よい仕官の口にありつこうとして学問の道に入った。だから、三年も学問をつづけてなお仕官の口を探さないとい学生は、よほどの大物か、本当の学問好きな人だったのだろう。
”穀”とは、俸禄、給料のこと。”穀に至る”とは、就職口にありつくこと。
5月18日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
仕事を得るための学問と自分のための学問は違いますね。
しかし、やっているうちに欲というものがでてきますね。
アクセスを解析したり、人言われたことを修正してみたくなったり。
論語は自分のために毎日打っているだけなのに。
まだまだだということです。
今日も一日がんばります。