賜(し)や、女(なんじ)は其の羊を愛(おし)む。我は其の礼を愛む。(八佾)|2月9日 更新日:2020年2月11日 公開日:2020年2月9日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 賜(し)や、女(なんじ)は其の羊を愛(おし)む。我は其の礼を愛む。(八佾) (子貢欲去告朔之餼羊。子曰、)賜也。女愛其羊。我愛其禮。 「賜(子貢の名)よ、お前はその羊を惜しがっているが、わたしは礼の廃されるのを惜しむのだ […] 続きを読む
然(し)らず。罪を天に獲(う)れば、禱る所無きなり。(八佾)|2月8日 更新日:2020年2月11日 公開日:2020年2月8日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 然(し)らず。罪を天に獲(う)れば、禱る所無きなり。(八佾) 不然、獲罪於天、無所祷也。 「そうではない。こびへつらってご機嫌をとり結ぶなどということをすれば、天罰をうけるであろう。そうなれば、祈ったところでムダである」 […] 続きを読む
祭ることを在(いま)すが如くす。神を祭ること神在(いま)すが如くす。(八佾)|2月7日 更新日:2020年2月9日 公開日:2020年2月7日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 祭ることを在(いま)すが如くす。神を祭ること神在(いま)すが如くす。(八佾) 祭如在、祭神如神在。 「神様を祭る場合には、そこに神様がおいでになるような敬虔(けいけん)な気持ちで祭ることである」 ”祭如在(祭ることを在す […] 続きを読む
絵の事は素(そ)より後にす。(八佾)|2月6日 更新日:2020年2月9日 公開日:2020年2月6日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 絵の事は素(そ)より後にす。(八佾) 絵事後素。 「絵を画くときには、まず下地をちゃんとすることが大事で、色をつけるのはそのあとのことだ」 ”素”とは、絵を画くときの白絹。また、絵の下地として胡粉(こふん)を塗ったもの、 […] 続きを読む
君子は争う所なし。必ずや射(しゃ)か。(八佾)|2月5日 更新日:2020年2月9日 公開日:2020年2月5日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 君子は争う所なし。必ずや射(しゃ)か。(八佾) 君子無所争、必也射乎。 「君子は、何事につけ、人と争わないものだ。争うことがあるとすれば、弓の競技だけだろう」 弓の競技について、孔子はこういっている。 「揖譲(ゆうじょう […] 続きを読む
礼は其の奢(おご)らんよりは寧(むし)ろ倹なれ。喪(も)は其の易(おさ)まらんよりは寧ろ戚(いた)め。(八佾)|2月4日 公開日:2020年2月4日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 礼は其の奢(おご)らんよりは寧(むし)ろ倹なれ。喪(も)は其の易(おさ)まらんよりは寧ろ戚(いた)め。(八佾) 礼興其奢也寧倹、喪興其易也寧戚。 「礼儀はぜいたくであるよりむしろ質素なほうがよい。お弔いは形式を整えるより […] 続きを読む
人にして仁ならずんば、礼を如何せん。人にして仁ならずんば、楽を如何せん。(八佾)|2月3日 公開日:2020年2月3日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 人にして仁ならずんば、礼を如何せん。人にして仁ならずんば、楽を如何せん。(八佾) 人而不仁、如礼何、人而不仁、如楽何。 「仁でない人が礼儀を守ったとてなんになろう。仁でない人が音楽を奏したとてなんになろう」 孔子は、仁の […] 続きを読む
義を見て為さざるは、勇無きなり。(為政)|2月2日 公開日:2020年2月2日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 義を見て為さざるは、勇無きなり。(為政) 見義不為、無勇也。 「人間として当然なすべきことだと知りながら、実行をためらうのは、勇気がないのである」 ”義”とは、人間として当然なすべき正しい道のことである。 この指摘は、凡 […] 続きを読む
人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり。(為政)|2月1日 更新日:2020年2月9日 公開日:2020年2月1日 日々是好日(にちにちこれこうにち) 人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり。(為政) 人而無信、不知其可也。 「人として信義のない輩は、どこがよいのかわかりゃしない」 人間関係は、信義に基づいて成り立っている。だから、信義がなければ人間関係もないし、 […] 続きを読む