子の疾病なり|6月16日のことです。

子の疾病なり

子の疾病なり(しのやまいおもきなり)。子路(しろ)、門人をして臣たらしむ(もんじんをしてしんたらしむ)。病(やまい)、間なるときに曰わく(かんなるときにいわく)、久しいかな(ひさしいかな)。由の詐を行うや(ゆうのいつわりをおこなうや)。(子罕第九)

【訳】
先師の病気が甚だ重かったとき、子路は若い弟子たちを家来に仕立てて葬儀を執り行う手はずを決めていた。病気が少し落ち着かれた頃、先師が子路に向かって言われた。「お前が私をだまそうとして久しいようだね」

6月16日の今日の論語一日一話です。

”身近な人に見守られて往生したい”と論語コンプリートにあります。

先生のためによかれと思った行動だったんでしょうね。

こういうことは冠婚葬祭では多少あるようにも感じます。

実際は生きている人が葬儀を執り行うのですから生きている人の見栄のためということにもいなるんでしょうね。

たくさんのお坊さんがいてもいなくても死んだ本人はまったくわからないことですから孔子様のいっていることもごもっともです。

身近な近親者でという流れは当然といえば当然なのかもしれませんね。

今日も一日がんばります。