冉求曰わく、子の道を説ばざるにあらず、力足らざればなり。子曰わく、力足らざる者は中道にして廃す。今女は画れり。(雍也第六)

ぜんきゅういわく、しのみちをよろこばざるにあらず、ちからたらざればなり。しのたまわく、ちからたらざれるものはちゅうどうにしてはいす。いまなんじはかぎれり。(ようやだいろく)

【訳】
冉求が言った。
「先生の説かれる道を喜ばないわけではありませんが、ただ何分にも私の力が足りませんので、行うことができません」
先師が言われた。
「力が足りないかどうかは、力の限り努力してみなければわからない。力の足らない者は中途で倒れるまでのことだが、今お前は初めから見切りつけてやろうとしない。それではどうにもしかたがないよ」

4月5日の論語一日一言の言葉でした。

”自分の能力を自分で見限ってはいけない”と論語コンプリートにあります。

このようなことを自分も言っているし、また孔子様のいっていることを自分がいっていることもあります。

人間とは勝手なわがままな生物です。

両方のことがよくわかります。

自分の子供にはやってみなければわからないといい、何かの会の役目の時には冉求さんのようなこと「力が足りないや時間がない」と言っていますね。

自分が力の限り努力するということをしなけれななりませんね。

人に言うからにはまず自分が。

しかし、今の時代時間効率も求められていますし、いろいろな努力が必要です。

1440分どう使うか。

改めて思います。

今日も一日がんばります。