何如になれば達人と謂うべき⓶|8月11日のことです。

何如になれば達人と謂うべき⓶

子曰わく、是れ聞なり、達に非ざるなり。夫れ達なる者は、質直して義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る。(顔淵第十二)

しのたまわく、これぶんなり、たつにひあらざるなり。それたつなるものは、しっちょくにしてぎをこのみ、げんをさっしていろをみ、おもんばかりてもってひとにくだる。(がんえんだいじゅうに)

【訳】
先師が言われた。
「これは聞く(有名人)といい、達人とは言わないよ。元来達人というのは、真っ正直で正義を愛し、人の言葉を深く推察してその顔色を正しく観察し、よく考えて人にへりくだる」
昨日に引き続きの一節です。

8月11日、今日の論語一日一言です。

”有名人であるより達人を目指せ”と論語コンプリートにあります。

どんなに良い評判がたっても作り物ではいけないとは思いますが難しいのも事実です。

表面上は良い人らしくして、行いがともなっていない。

通常、人はそんなもんだとも思います。

達の人を目指したい。また目指すべきでもあります。

しかし、心はいつも責め心満載です。

簡単ではない、わかってもいる、しかし出来ない。

せめて口に出さなければいいと思いますが羽根より軽い口。

困ったもんです。

今日も一日がんばります。