仰げば彌高く|6月18日のことです。

仰げば彌高く

既に吾が才を竭くせり(すでにわがさいをつくせり)。立つ所有りて卓爾たるが如し(たつところありてたくじたるがごとし)。之に従わんと欲すと雖も(これにしたがわんとほっすといえども)、由末きのみ(よしなきのみ)。(子罕第九)

【訳】
「自分の才能のあらん限りを尽くしてみても、先生は自ら立つ所があって聳え立っているようだ。先生の後に従っていこうと思っても、どうも手立てがない」

6月15日の今日の論語一日一話です。

”いくら学んでも先生には及ばない(先には先がある楽しみ)”と論語コンプリートにあります。

孔子様は幸せだったでしょうね。共に学んで切磋琢磨していたんでしょう。

指導するというのは誰もがしなければならない時があります。

そんな時に知らず知らずに相手の能力を引き出すようなことができるといいですね。

詰めこんで詰め込んで少しづつ袋が伸びるようにしかならない自分に歯がゆさを感じますが、伸びそうな間は伸ばす努力はしなければなりませんね。

先にある楽しみを感じられるようにしたいものです。

今日も一日がんばります。