車に升(のぼ)りては、必ず正しく立ちて綏(すい)を執る。車の中にては、内顧(ないこ)せず、疾言せず、親指(しんし)せず。(郷黨)
升車、必正立執綏。車中、不内顧、不疾言、不親指。
「車に乗られるときには、必ず正しく立ち、手綱をしっかり握られた。車の中では、後をふりむかず、大声で話されず、直接指さすことはされなかった」
車に乗ったときと車中での作法をのべている。孔子は、このエチケットを守って車中の人となっていた。
キョロキョロと振り向く、大声でしゃべる、あちこちと指さすのは、いずれも不作法だとされていた。車に乗ると人目につきやすいので、特にエチケットを守る必要があった。
6月25日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
この郷黨第十篇は、孔子様の様子をこんな表していたとは今更ながらちゃんと読んでるのかと感じます。
ので調べてみたところ前回までの論語一日一言の中では一切取り上げられていませんでした。
そりゃ新鮮にも感じます。
この章も論語の一部ですから何か感じるものがあります。
心が体に現れるとも思いました。
今日も一日がんばります。