犁牛(りぎゅう)の子騂(あか)くして且(かつ)角(つの)あらば、用うること勿からんと欲すと雖も、山川(さんせん)其れ諸(これ)を舎てんや。(雍也)
犁牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舎諸。
「まだら牛の子でも、毛が赤くて(当時は赤い色を重んじた)りっぱな角があれば、たとえ祭りには使いたくないと思っても、もろもろの神様がそれを見捨てておこうか」
当時の習慣では、犁牛はもともと、祭礼には使わなかった。だが、そのまだら牛の子でも、毛並みが赤く角がりっぱなら、誰もほっとかないので、祭祀(さいし)の供物として使うというのである。
この章は、父の非行に悩んでいた弟子の仲弓(冉雍)を、孔子がはげましたことばである。
本人さえりっぱなら必ず抜擢される。
4月3日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはよございます。
見ている人は見ているということでしょうか。
自分自身を磨いていくことが大事なんだと思います。
しかし、今の現状では精神を病む人も中にいるんではないでしょうか。
毎日の会話や、テレビのニュース。
しかし、無駄なことはなにもないと信じて日々の精進を重ねたいと思います。
今日も一日がんばります。