明と謂い、遠とも謂う
子曰わく、浸潤の譖、膚受の愬、行われざるは、明と謂うべきのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行なわれざるを遠とも謂うべきのみ。(顔淵第十二)
しのたまわく、しんじゅんのそしり、ふじゅのうったえ、おこなわれざるは、めいというべきのみ、しんじゅんのそしり、ふじゅのうったえ、おこなわれざるをえんともいうべきのみ。(がんえんだいじゅうに)
伊與田覺先生の解説です。
先師が言われた。
「じわじわとしみこむような悪口や肌を刺すような訴えに、とにかく人は動かされやすいものだが、迂闊にそれに乗らないような人なら、明と言うことができるよう。さらにそういう人は遠(目先だけでなく先々まで見抜く)とも言うことができるよ。
7月27日の今日の論語一日一言です。
動じないよいうになるためにはどうすればいいのか。
しっかりとした信念を持つことが大事だということでしょうね。
すべてのことに目的意識をもって今の自分を客観的にみる。
先々のことまで考えられるようにならねばいけませんね。
今日も一日がんばります。