斯(ここ)に美玉有り。匵(とく)を韞(おさ)めて諸(これ)を蔵(ぞう)せんか。善賈を求めて諸を沽らんか。(子罕)
有美玉於斯。韞匵而蔵諸。求善賈而沽諸。
「ここに美し玉があるとします。箱の中にしまっておきますか?それとも、いい買い手を探して売りましょうか?」
門弟の子貢がこう孔子に聞くと、孔子は次のように答えた。”これを沽らんかな。これを沽らんかな。我は賈を待つ者なり”もちろん売るとも、わたしは買い手をまっているのだ、という意味である。
これは、孔子に出仕の気持ちがあるかどうかを尋ねた比喩である。能力と仁徳を発揮できる場には出仕したい、と孔子は念願していた。
5月30日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
よい君主に仕えたいと常に思って放浪していたということですね。
周りを大国に囲まれている小国だからこそ魯の国で孔子様が生まれたと書いてありました。
思想というものを考えると順風なときにはなかなか考えつかないものだと思います。
そういう意味では世界中がいろいろなことを考えるコロナショック。
大きなイノベーションがおこる時なんでしょうね。
今日も一日がんばります。