忠信を主として義に徙る|8月3日のことです。

8月3日、今日の論語一日一言です。

子曰わく、忠信を主として義に徙るは徳を崇くするなり。之を愛しては其の生を欲し、之を悪みては其の死を欲す。既に其の生を欲して、又其の死を欲するは、是れ惑なり。(顔淵第十二)

しのたまわく、ちゅうしんをしゅとしてぎにうつるはとくをたかくするなり。これをあいしてはそのせいをほっし、これをにくみてはそのしをほっす。すでにそのせいをほっして、またそのしをほっするは、これまどいなり。(がんえんだいじゅうに)

伊與田覺先生の解説です。

先師が言われた。
「忠信を旨として正しい道を履み行なうのが徳を高めることになるのである。愛してはいつまでも生きるように願い、憎んでは早く死ぬように願う。先には生きることを願いながら、また死ぬることを願う。これこそ迷いというものだ」

”忠(まごころ)信(信義)を第一に守れ”と論語コンプリートにはあります。

人間は自分勝手なものです。いい時は長生きしてほしいと思い、悪い時は早く死ねばいいのになどと頭によぎります。

義(正しい道)を実践するためにはまごころと信義が大切。

信義とは「約束を守り務めを果たす」とあります。

とすれば

人に接する時は「まごころと約束を守って正しい道で接しましょう」そうすれば人間力が高まりますよ。

ということなのでしょうね。

自分勝手な心を誰しもが持っていますがそれをどうするか。

それに気づけるかが重要ですね~。

今日も一日がんばります。