子の疾病なり
且つ予其の臣の手に死なん與りは(かつわれそのしんのてにしなんよりは)、無寧二三子の手に死なんか(むしろにさんしのてにしなんか)。且つ予縦い大葬を得ずとも(かつわれたといたいそうをえずとも)、予道路に死なんや(われどうろにしなんや)。(子罕第九)
【訳】
「また、私はその俄(にわか)仕立ての家来の手に死ぬより、むしろ二、三の諸君の手によって死にたいものだ。それに自分はたとえ立派な葬儀をしてもらえなくても、道路に野垂れ死にするようなことがあろうか」
※内心は子路の厚意を感謝しておられるように思われる。
6月18日の今日の論語一日一話です。
”身近な人よって見守られて往生したい”と論語コンプリートにあります。
この内心はのところに愛情が感じられますね。
子路の気持ちもよくわかります。
人はいつか死にますね。
そのとき何ももってはいけない。
せめてお互いを理解できる人に見送ってもらいたいものです。
今日も一日がんばります。