君子、仁を去りて、悪くにか名を成さん(里仁)
君子去仁、悪乎成名
「君子は、仁徳を捨てて、いったいどこで名誉を手にすることができようか」
権力、富貴、学問、芸術などで名をあげるこはできる。だが、本当の立派な人は、仁徳を備える以外のことで名声を得ようとはしないものである。仁の道こそは、君子の最終目標でなければならない。
この語句が、次の”君子は終食(しゅうしょく)の間も仁に違うこと無し”とつづくわけである。
”悪”はここでは、いずくんぞ、または、いずくと訓む。”何”と同じ用法である。
2月19日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
超訳論語という本の序章に論語の”学習回路を開いている状態が「仁」であり、仁たり得る者を「君子」と呼ぶ”とあります。
学んで時にこれを習う。
どんなに外部から知識を取り入れても振り回されていて、修練を重ねると自分のものになる瞬間がある。
それを「習う」という。
自分の直面する困難を学ぶ機会ととらえられる。それが学習。
たしかになあと感じます。
まだまだ惑っており習うに到達してないですね~。
今日も一日がんばります。