三年父の道を改むる無し
子曰わく、父在せば其の志を観、父没すれば其の行いを観る。三年父の道を改むる無くんば、考と謂う可し。(学而第一)
しのたまわく、ちちいませばそのこころざしをみ、ちちぼっすればそのおこないをみる。さんねんちちのみちをあらたむるなくんば、こうというべし。(がくじだいいち)
【訳】
先師が言われた。
「父が生きているときには、その気持ちを察して、それに添うように努め、父が亡くなられてからは、その行われた跡を見て、これを継承するのがよい。そうして三年の間、父のしきたりを改めず、ひたすら喪に服する人なら、真の考子と言えるであろう」
1月13日、今日の論語一日一言です。
“父に学び、死後三年はやり方を変えるべきではない”と論語コンプリートにあります。
キリスト教より前、仏教より前からある儒教。
三年の喪というのは儒教からきているんですね。
昔の三年というとそうとう長い期間だと思うんです。
寿命が50歳とかの時代に三年も。
それぐらい大事なことなんでしょうね。
今日も一日がんばります。