譬(たとえ)えば山を為(つく)るが如し。未だ一簣(いっき)を成さずして、止むはわが止むなり。(子罕)|6月4日

譬(たとえ)えば山を為(つく)るが如し。未だ一簣(いっき)を成さずして、止むはわが止むなり。(子罕)

譬如爲山。未成一簣、止吾止也。(譬如平地、雖覆一簣、進吾往也。)

「たとえば、土を盛り上げて山を造るようなものである。もう一モッコというところで山を完成させないのも、それは自分がやめたからで、責任は己にある。もう一モッコあけたら完成というときでも、仕事が進むのはじぶんが歩いたからである)」
最後の一モッコが完成の分かれ目というとき停頓も進歩もすべてじぶんの責任という戒め。
かっこ内は、”譬えば地を平かにするが如し、一簣を覆すと雖も進むはわが往くなり”と読む。

6月4日、論語一日一言(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

おはようございます。

人生のあと一歩というのはよくわかりませんね。

だから常に積み重ねしなければなりません。

やめるのも進むのも自分次第。

たしかにそうです。

だから自分の信念というものを確立しやめないことが大事なんでしょう。

今日も一日がんばります。