臣無くして臣有りと為す。吾誰をか欺かん。天を欺かんか。(子罕)
無臣而爲有臣。吾誰欺。欺天乎。
「家来もいないのに家来がいるようなまねをしている。それで、いったいわたしは誰をだまそうとするのか。天をだまそうというのか」
孔子が重い病気にかかったとき、子路は門人たちを家来にしたてて、見場をつくろった。すこしよくなってからこのこと聞いた孔子が、子路をたしなめた言葉である。さらにかれは、「それに、わたしは家来に取り囲まれて死ぬよりも、むしろお前たちにみとられて死にたい。大げさな葬式ができないとしても、まさか、野たれ弛にするわけでもあるまい」といった。
5月29日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
昨日のカンブリア宮殿の吉寿屋さんの話を思い出しました。
私が死ぬときは従業員が一番先に焼香をあげるべきだ。
働く人たちによって自分が成り立ってるという精神なんでしょうね。
かっこいい経営者は言うことが違います。
なんでも人のためにやると自分が良い気持ちになるものです。
今日も一日がんばります。