「昨日に続いて孔子はこう言った。結局わたしのことをわかってくれるのは天だけかもしれないね」
古代中国の思想家たちは、
孔子も含めて
、カミとかホトケとか言わず、
”天”の存在を信じた。
だからそれぞれの職業を”天職”と言った。
何をやってもそれは天から命じられた仕事なのだ、
それが自分の任務なのだと思えば、ある程度気持ちがすっとする。
他人から罪をなすりつけられたリ、
あるいは足を引っ張られて落ち込むこともある。
しかしそんなときにはつまらぬ人間たちを相手にせずに天だけが俺を知ってくれていると思えば、
気持ちが大きくなる。(憲問第十四-三十七)
童門冬二の論語の智恵一日一話の9月18日の言葉です。
昨日に引き続きですが、最終は”天”が決めた事ということですね。
どんなに理不尽なことが起きようとも最終は自分自身の責任であり、天が決めた事。
そういう風に理解できれば、人のせいが得意な人間にならずにすみますね。
すべての事柄は自分自身が招いているんです。
だれのせいでもないものです。
ほんとにつらい時は”天”からの使命なのですと心にきめてかかれば楽です。
天という響きもまたかっこいいですね。
今日も一日がんばります。