是れ丘なり
子曰わく(しのたまわく)、二三子(にさんし)、我を以て隠せりと為すか(われをもってかくせりとなすか)、吾は隠す無きのみ(われはかくすなきのみ)。吾行うとして(われおこなうとして)二三子と與にせざる者なし(にさんしとともにせざるものなし)。是れ丘なり(これきゅうなり)。
【訳】
先師が言われた。
「諸君は、私が諸君に何か隠しておると思うか。私は何も隠すことはないのだ。私は何事を行うにも諸君と共にしないことはない。これがありのままの私なのだ」
論語コンプリートには「常に自分を出し切る」とありました。
自分自身には出し惜しみするほどのものないし、駆け引きも嫌いですし、正直にやってきたつもりですがどうなのでしょうね。
孔子様はなにか自分を出していないように言われたことでもあったのでしょうか。
たくさんの引き出しをもっている孔子様のような人物はそう思われることもあるのでしょうね。
門弟の理解度に合わせて言葉をかえて伝えていくとそのように思われることもあるかもしれません。
論語の世界はたくさんの解釈ができますので、その時の心の状況ですっと落ちてくる場合もあれば、ん?と思うときもあります。
これが論語の楽しみなのかもしれません。
今日も一日がんばります。