士、道に志して、悪衣悪食(あいくあくしょく)を恥ずる者は、未だ与(とも)に議(はか)るに足らざるなり。(里仁)
士志於道。而恥悪衣悪食者。未足与議也。
「いやしくも仁義道徳の修養に志す人で、見栄っぱりで粗衣粗食を恥ずかしがったりするような輩は、ともに語るに足りないよ」
”士”とは、もともと、候、卿(けい)、大夫に次ぐ官吏のこと。ここでは、修養や求道(くどう)を目的としている人間の意味。
”士”は、中国でも日本でも、志の高い教養人をして社会的に重んじられていた。そのような人物が、日常の生活で見栄ばかり張るようではしようがない。そういう鼻持ちならない人間とは話をするのもいやだ、というわけである。
2月23日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
こんばんわ。
自分がそうなっていないかをよくよく考えなければいけませんね。
そういう人間は孔子様は嫌う。
人間は誰でも思いやりのない悪い人とは一緒にいたくはありませんね。
だから修養が大切だと思います。
しかし、同じ学びでもひとそれぞれに捉え方は違う部分もあります。
でも方向性が違っていなければ良い関係も作っていけるんでしょうね。
明日も一日がんばります。