吾何を以てか之を観んや|2月14日のことです。

2月14日、今日の論語一日一言です。

子曰わく、上に居りて寛ならず、礼を為して敬せず、喪に臨みて哀しまずんば、吾何を以てか之を観んや。(八佾第三)

しのたまわく、かみにおりてかんならず、れいをなしてけいせず、もにのぞみてかなしまずんば、われなにをもってかこれをみんや。(はちいくだいさん)

【訳】
先師が言われた。
「上位に居て寛容でなく、礼を行って相手を敬わず、葬儀に参って心から悲しまなければ、何によって、その人柄を判断しようか」

”人間としてのまごころがない者は見るところがない”と論語コンプリートにあります。

上の立ち場になったら寛容な気持ちで人に接しなければならない。

しぐさにも敬意が必要。

葬儀では心からの哀悼。

たしかにこのような人はまごころや思いやりがありませんね。

まじかにこのような人がきっといたんでしょうね。

やさしい気持ちでいるためには自分の心の平穏が大切なような気もします。

相手の悪いところを見ればそれは心はざわつきますが、自分自身は人からいつも見られていると意識する必要がありそうです。

今日も一日がんばります。