未だ其の止まるを見ず
6月24日、今日の論語一日一話です。
子、顔淵を謂いて曰わく、惜しいかな。吾其の進むを見るなり。未だ其の止まるを見ざるなり。(子罕第九)
し、がんえんをいいてのたまわく、おしいかな、わがそのすすむをみるなり。いまだそのとどまるをみざるなり。(しかんだいきゅう)
【訳】
先師は顔回のことをこう言われた。
「惜しい人物だったなあ。私は彼が常に進むのを見たが、まだそのとどまる所を見たことがなかった」
”進み続ける人になりたい”と論語コンプリートにはありました。
なぜ惜しい人物ほど早くに亡くなってしまうのでしょう。
人間いつか死にますが惜しい人物に限って早く死ぬというのは勘違いなのでしょうか。
孔子様の弟子の中でも一番というほどの人物なのに師匠より先に亡くなる。
こういうことは他にもあるように思います。
きっと教えながらにして自分がたくさんの学びを得ているから余計にそう思うのでしょうか。
人に伝えることは一番自分の学びですね。
しかし伝えるということは非常に難しいことで、しゃべりすぎても伝わらない。
そもそも伝わっていると思っていることも傲慢かもしれませんね。
今日も一日がんばります。