君子は多(た)ならんや。多ならざるなり。(子罕)|5月25日

君子は多(た)ならんや。多ならざるなり。(子罕)

君子多乎哉。不多也。

「君子というものは、多芸多才であろうか?いや、決してそうではない」
ある国の大臣が、子貢に、あなたの先生は聖人に違いない。いかにも多芸多才だ、といった。子貢も師はたしかに多才だと答えたが、孔子は、じぶんは若い頃苦労したのでいろいろなことをやってきのだ、と語り、つづけていったのが頭書の句である。
君子は一途に道義を追求するべきで、あれやこれややるべきではない。したがって、多芸多才の必要はすこしもない。と孔子は考えていた。

5月26日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

おはようございます。

たくさんのことが出来ることがいいことではない。

そんなことよりも道義を大事に追求するべきだということ。

たくさんの知識のある人よりも思いやるのある人の方が将来的には幸せになれるんでしょうね。

これはひがみなるかもしれませんが、たくさんのことが出来る人には憧れちゃいますけど。

今日も一日がんばります。