詩三百を誦し、これに授くるに政を以てして達せず、四方に使して専対すること能わずんば、(子路)
誦詩三百、授之以政不達、使於四方不能専對、(雖多亦奚以為)
「『詩経』三百篇をすべて暗誦できるほどの豊かな教養を身につけていても、政治をまかせるとさっぱり仕事ができないし、使者として外国へ出しても一人で対応できないようでは、(いかに多くの教養があっても、なんの役にも立たないではないか)」
かっこ内は”多しと雖も、亦た奚(なに)を以てか為さん”と訓ずる。
昔は、『詩経』に通じることが士たるものの基本的な教養の一つとされていた。だが、仕事ができないのでは、その教養も無意味である。
8月6日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
頭の痛い言葉ですね。
どんなに学んでも実行、実践できないものは無意味。
たしかにそうです。
学校の勉強とは違いますから。
100やって1です。
身につくことは。
数やるしかないですね。
というのが実感ですね。
今日も一日がんばります。