公門に入るに鞠躬如(きくきゅうじょ)たり。容れらざるが如くす。立つに門に中せず行くに閾(しきい)を履まず。(郷黨)
入公門、鞠躬如也。如不容。立不中門。行不履閾。
「宮殿の門を入るときには、身を正し、腰をかがめ、いかにもつつましかった。門の中央に立ちはだかったり、敷居を踏むというような不作法なまねはしなかった」
参内するときの孔子の折目正しい姿勢と態度を描写したものである。さらにこうのべている。
「君主の前を通るときには緊張し、足どりもことばづかいもつつましくされた。裾をからげて堂に上るときには、腰をかがめ息を殺し、下ってはじめてほっと一息ついた。階段の昇降は小走りに、自責に戻っても恭しい姿は崩さない」
6月16日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
挨拶や礼を忘れないというのは今もとっても大事なことです。
普段から孔子様はされていたのでしょうね。
こういう作法というものの成り立ちはいつからなのでしょうか。
自然とそういうものが生まれたのでしょうか。
しかし、人として必要だからあるのでしょうね。
今日も一日がんばります。