昔、吾が友、嘗(かつ)てここに従事せり。(泰伯)
昔者吾友、嘗従事於斯矣。
「昔、わたしの友人は、そういうことにはげんだものだ」
曾子のいったことばである。
曾子の追慕した友人とは、顔回だという説が多い。
曾子はこの前にこう言っている。”能を以て不能に問い、多きを以て寡(すく)なきを問い、有れども無きが若(ごと)く、実つれど虚(かな)しきが若く、犯されて校(むく)いず”。才能があるのに、ない人にまで尋ね、豊かなのに乏しい者に尋ね、充実していても謙虚に、害されても争わない、という意味。
5月13日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
こんな人物は顔回さんしかしないということなんでしょうね。
こういう人に会ってみたいものです。
自分の頭の中に反省ですね。
瞬間で思いつく思考はとても汚いものです。
それを理性で抑えているだけのこと。
きっと顔回さんは自然と出来ていたのでしょう。
今日も一日がんばります。