上に居て寛(かん)ならず、礼を為して敬せず、喪に臨(のぞ)みて哀しまず。
居上不寛、為礼不敬、臨喪不哀、(吾何以観之哉。)
「人の上に立ちながら寛容さに欠けており、儀礼を行ないながら敬虔(けいけん)さを失っており、弔いに行きながら哀悼の気持ちをもたない。(こういうぐあいでは、なんの取り柄もないではないか)」
人の上に立つには、”寛容さ”がだいじである。指導的立場にある人間が、この器量をもたないようでは、部下をリードできない。
また、冠婚葬祭などの儀礼に参列するときには”心”の在り方がだいじである。かっこ内は”吾何を以てこれを観んや”と訓ずる。
2月14日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。
おはようございます。
寛容さとは何か。
受け入れるということでしょうか。
承認していくことでしょうか。
許すことでしょうか。
いずれにしても仁の心なんでしょうね。
思いやりや感謝があれば寛容に自然となりそうです。
何事も俯瞰してみることが大事かもしれませんね。
勢いに乗りながらもです。
今日も一日がんばります。