何如になれば達人と謂うべき③
夫れ聞くなるもの者は、色に仁を取りて行いは違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞え、家に在りても必ず聞ゆ。(顔淵第十二)
それぶんなるものは、いろにじんをとりておこないはたがい、これにこりてうたがわず。くににありてもかならずきこえ、いえにありてもかならずきこゆ。(がんえんだいじゅうに)
【訳】
「さて聞人というのは、表面は仁者らしく見せかけながら、行いが伴わない。しかも自分では、それでいて疑わず、いわゆる要領よくやるので、国にあっても必ず評判がよく、家にあっても必ず評判がよいというものだ」
8月12日、今日の論語一日一言です。
”有名人であるより達人をめざせ”と論語コンプリートにあります。
行動との一致。
本当に頭の痛い問題ですね。
ともなうように心がけたい、いつもそう思います。
商売をやっている以上役にたつのは当たりまえという言葉を思いだします。
人の役にたつためはきっと自分を満足させたいというのもあるんでしょうね。
人に満足をあたえ、自分も納得いく状態を作れる。
今日も一日がんばります。
何如になれば達人と謂うべき-この説明は結局よく分かりませんでした。聞人と達人、聞人は言動不一致でしょうか、その不一致がよい評判を得るからよいでしょうか?達人の説明はなかったようですね。
もう一度教えてください
達の人は正義を愛し、人の話を聞き分け、人の顔色もよくみて、その奥のものを見通すことが出来る人と論語コンプリートに書かれています。聞人は有名人であるが仁者といわれることが当たりまえになってしまってる人。言動不一致はその通りだと思います。きっと口だけ人なんでしょうね。
ありがとうございます。