曾子疾あり
曾子疾あり(そうししつあり)。門弟子を召して曰わく(もんていしをめしていわく)、予が足を啓け(わがあしをひらけ)、予が手を啓け(わがてをひけ)。詩を云う(しをいう)、戦戦競競として深淵に臨むが如く(せんせんきょうきょうとしてしんえんにのぞむがごとく)、薄冰を履むが如しと(ハクヒョウをふくむがごとしと)。而今よりにして後(いまよりにしてのち)、吾免るるを知るかな(われまぬがるるをしるかな)、小子(しょうし)。(泰伯第八)
5月19日の今日の論語一日一言です。
曾先生は病気が重くなって死の近いのを悟り、弟子たちを枕元に呼んで言われた。
「私の手や足を出して見なさい。詩経に(恐れおののいて深い淵に臨むように、また薄い氷をふむように)とあるが、これからはもうそんなに気を遣う必要がなくなるだろう。ありがたいことだ。そうではないかね、みんな」
曾子は弟子達と共に、孔子の教えのままに「考経」を作った。そのはじめ「身体髪膚之を父母に受く、敢て毀傷(きしょう)せざるは考の始めなり」とある。そうしてこれを、生涯実践し、その実証を死の床に於て自らの体を以て弟子達に示したのである。曾子が後世「宗聖」と仰がれる所以もまたここにあると思う。
”親から授かった身体を傷つけてはいけない”と論語コンプリートにあります。
自分の身体は自分が作ったものではない。
親から授かった体ですから大事にしなさいとうことでしょうね。
いつ何があるかわかりませんね。
病院にはすぐに行かなければならないし健康でいる努力を怠ってはいけませんね。
そう考えるともったいないとかいう感覚で無理に食べたりするのはよくありませんね。
身体に入れるものもよく考えなければいけません。
健康こそが親孝行でもある。
今日も一日がんばります。