何如なれば達人と謂うべき|8月10日のことです。

子張問う、士、何如なれば斯れ之を達と謂うべき。子曰わく、何ぞや、爾の所謂達とは。子張対えて曰わく、邦に在りても必ず聞え、家に在りても必ず聞ゆ。(顔淵第十二)

しちょうとう、し、いかなればこれこれをたつというべき。しのたまわく、なんぞや、なんじのいわゆるたつとは。しちょうこたえていわく、くににありてもかならずきこえ、いえにありてもかならずきこゆ。(がんえんだいじゅうに)

伊與田覺先生の解説です。

子張が「士はどういうのを達人と言うことができましょうか」と尋ねた。
先師が逆に尋ねられた。
「お前の達人とはどういうのかね」
子張がお答えした。
「国にあっても評判がよく、家にいても評判がよいということでございます」

士とは道を学ぶ志の高い人と論語コンプリートにあります。

子張は有名人が達人ではないかと答えています。

しかし、有名人がいいとは限らないとう続きがあります。

外見だけ装って人前でうまく話ができても行動がともなっていないということでしょうか。

難しいですね。

今日も一日がんばります。