
「古き道具に、今の手を添えて」
「急がなくていいよ」と言われていた本田さんの彫刻の件、気がつけば速攻で取りかかってしまっていました。
人間、不思議なもので、気持ちが乗っているときというのは、何をするにも動きが早いものです。あれこれと理由をつけて先延ばしにしてしまう時もある一方で、ふとした瞬間に火がついて、気づけば手が勝手に動いている。今回はまさにそんな感じでした。
私自身、普段はどちらかというと慎重な性格だと思っていますが、どうもこういうものづくり系のことになると、つい心が先走ってしまいます。仕事とはいえ、こうして「面白そう」「やってみたい」と思える瞬間があるのは幸せなことです。
ただし、そういった“盛り上がり”というのは一瞬のものでもあります。モチベーションがピークのときは、ものすごい集中力と行動力が出る。けれど、それがずっと続くかと言えば、なかなかそうはいかないものです。だからこそ、常に適度な仕事がある、手を動かす理由がある、というのはありがたいことだとつくづく思います。
さて、そんなわけで本田さんの依頼をきっかけに、再び中華レーザー彫刻機を動かしてみたのですが、やはり一度火がつくと、他にもいろいろ試したくなってきます。
この中華レーザー、今でこそ同じような性能の機械がより小型で、かつ安価に手に入るようになりましたが、うちで使っているモデルはもう10年近く前に導入したものです。旭川の冬の寒さにも耐え、なんとか動き続けてくれた頼れる相棒でもあります。
制御に使っているソフトウェアは「MOSHIDRAW」。調べてみたところ、どうやら最後のアップデートは2017年だったようで、今となってはやや化石のような存在かもしれません。当時はそれでも画期的で、「こんなことまでできるのか」と感動したものですが、時代の流れは本当に早いものですね。
それでも、どうしてもこの機械を捨てきれないのは、やはり「愛着」なのでしょう。
効率や性能だけで言えば、もっとスマートで扱いやすい新型の機械がたくさんあります。買い替えた方が合理的という意見ももっともです。でも、10年も使ってきた機械には、単なる機能以上のものが詰まっています。使い方のコツ、癖、気まぐれな挙動への対応策——そういったことがすべて自分の体に染みついている。
まるで、長年付き合ってきた道具が、こちらの手の動きや気持ちを理解してくれているかのような感覚すらあるのです。
こうなると、もう「なんとかして使い倒してやりたい」という気持ちの方が強くなってしまいます。限界まで活用して、最後まで責任を持って見届けてあげたい。そんな感情さえ湧いてきます。
ものを大切に使うというのは、単に“もったいない”というだけでなく、その過程に自分の工夫や技術が問われるという意味でも、やりがいのあることです。新品の機械で効率よくきれいに仕上げるのももちろん素晴らしいことですが、古い機械を使って、どこまで良いものを生み出せるかという挑戦もまた、職人としての喜びなのかもしれません。
このごろ、世の中はどんどん「新しいもの」「早いもの」「便利なもの」に流れていっています。でも、私は古い機械を前にして、あえて時間をかけて何かを作ることの尊さを、改めて感じています。
それはきっと、贈答品という「心を贈る仕事」をしているからこそ、そう感じるのかもしれません。贈りものというのは、ただモノを渡すのではなく、「想い」をカタチにして伝える行為です。その工程に多少の手間や時間がかかったとしても、そこに込められた熱や工夫が、贈られた相手の心に響く。そういう贈りものを、これからも作り続けていきたいと思っています。
中華レーザー、まだまだ現役です。たとえ世間の流れに逆らうような道具であっても、それを使うこちらの心が本気なら、きっとまた人の記憶に残る仕事ができる。そう信じて、今日も私は機械の前に立っています。








