澹台滅明(たんだいめつめい)なる者有り。行くに径(こみち)に由らず。公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らざるなり。|4月8日

澹台滅明(たんだいめつめい)なる者有り。行くに径(こみち)に由らず。公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らざるなり。

有澹臺滅明者,行不由徑。非公事,未嘗至於偃之室也。

「澹台滅明(たんだいめつめい)という者がいます。この男は、間道(かんどう)を歩くようなことはしません。また、公務でない限りは、決して偃(子游のこと)の部屋にはやってきません」
門弟の子游(しゆう)が武城(ぶじょう)(いまの山東省費県)の長官となった。孔子が、良い部下でも見つかったかと尋ねたのに対し、子游が答えた言葉。
周代には、役人は常に天下の公道を歩むべきで、間道をこそこそ歩むな、と規定されていた。また、用もないのにやたら上役の部屋に行くのも好ましくない、とされていた。

4月8日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

おはようございます。

子游は良い部下を得たということでしょうね。

なんだか孔子様のやさしさを感じてしまいます。

常に弟子を気にしている。

自然体でこういうことをいつも尋ねていたのでしょうね。

人を思いやるというのは自分以外を常に心配している人にも感じます。

今日も一日がんばります。