焉(いず)んぞ佞(ねい)を用いん。人に禦(あた)るに口給(こうきゅう)を以てすれば屡(しばしば)人に憎まれる。其の仁を知らず。(公治長)|3月13日

焉(いず)んぞ佞(ねい)を用いん。人に禦(あた)るに口給(こうきゅう)を以てすれば屡(しばしば)人に憎まれる。其の仁を知らず。(公治長)

焉用佞、禦人以口給、屡憎於人、不知其仁。(焉用佞。)

「どうして弁が立つ必要があろう。なまじっか口が上手ければ、かえって人から憎まれるものだ。かれが仁者であるか否かは知らないが、(どうして弁の立つ必要があろうか)」
ある人が、弟子の冉雍について、
「あの男は仁者かもしれないが、惜しいかな、弁が立たない」
と批評したのに、孔子が反駁(はんばく)したことば。
”佞”とは弁舌さわやかな意味。”口給”とは口達者なこと。
冉は姓、雍は名。孔子の門人で、字は仲弓(ちゅうきゅう)

3月13日、論語一日一話(孔子に学ぶ人生の知恵365)の言葉です。

おはようございます。

弁が立つ必要は無い。

それは確かに思います。

人前で話すのが上手な人というのは世の中にいますが慣れもありますね。

しかし回りくどい話方で話したりするより、話べたで汗をかくような人の方が好感が持てるというのはあります。

誠実であれば弁が立つ必要はありませんね。

今日も一日がんばります。